広島大学 脳神経内科学 Hiroshima Univ. Clinical Neuroscience & Therapetics

教室の歩み

脳神経内科学
(内科学第三)
講座の歩み

「広島大学医学部50年史・講座編」「広島大学医学部70周年医学部・医学科誌」より抜粋

脳神経内科学講座(内科学第3)は1973年4月1日に認可され、2017年4月現在まで44年の歴史を持ち、広島県内唯一の脳神経内科講座として発展してきた。1973年9月1日に鬼頭昭三初代教授が着任し、1990年5月に第2代教授として中村重信教授が着任、2002年4月に第3代教授として松本昌泰教授が大阪大学第1内科(神経内科・脳卒中科併任)から着任し、2017年2月に第4代教授として丸山博文教授が着任し現在に至る。

1973年、東京女子医大講師であった鬼頭昭三が初代教授として9月1日発令された。この日、広島の地に神経内科の灯火がともされた。昭和48年9月から平成2年3月までの16年半、広島大学内科学第三講座初代教授として勤務した。その間、鬼頭教授と教室員は神経内科学の臨床、教育、研究に携わった。特に鬼頭教授のライフワークである長野県と広島県の家族性アミロイド・ポリニューロパチー(FAP)の臨床ならびに生化学的、病理学的、遺伝学的研究や脳内神経伝達物質およびその受容体に関する研究を精力的に行った。鬼頭教室の時代は、広島地方の神経内科学の黎明期で苦難の時代でもあった。

1990年3月、鬼頭教授退官後、5月から当時京都大学神経内科学講座の助教授であった中村重信が第2代教授として着任した。中村教授着任後、学内外から医局員が集まり、年々医局は発展・充実してきた。中村教授は、神経内科のみならず老年医学においても臨床、研究、教育を推し進め、これらの分野において広島地方、中国地方はもちろんのこと全国でも中心的役割を担ってきた。特に、アルツハイマー病およびその他種々の神経疾患の臨床的、生理学的、生化学的、分子生物学的研究が盛んとなった。また、以上の分野での地域医療への貢献ならびに医学生、保健学科学生、大学院生への教育や卒後教育に対して並々ならぬ熱意をもってあたってきた。

2002年4月、大阪大学第一内科より松本昌泰が第3代教授に着任した。松本教授就任後、脳血管障害を中心とした臨床・研究チームが活躍し、脳神経内科医の需要がさらに高まった。当科の同門会員数も増え続け、1996年には100名を、2012年には200名を突破した。特に女性医師の数は60名を超え、全体の約30%を占めており、同門会内で女性医会が発足し女性医師のキャリアアップのサポートを積極的に行っている。

研究に関しては2003年から松本教授が班長となり、「脳血管疾患の再発に対する高脂血症治療薬HMGCoA還元酵素阻害薬の予防効果に関する研究(臨床研究J-STARS)」が開始され、12年に渡るデータ集積により興味深いデータが得られ、2015年に国内外の主要学会、及び国際誌での発表を行った。2010年には丸山博文准教授(現 広島大学脳神経内科学教授)が原爆放射線医科学研究所川上秀史教授の指導のもと新規の筋萎縮性側索硬化症の原因遺伝子OptineurinをNature誌に発表し、日本神経学会賞をはじめ数々の賞を受賞した。

この20年間で当科は数多くの学会を主催した。中村重信教授は1999年に日本神経化学大会、日本自律神経学会を主催し、松本昌泰教授は2002年に日本栓子検出と治療学会、2003年に日本脳神経超音波学会、2012年に日本脳ドック学会総会、日本脳循環代謝学会総会、2015年に日本脳卒中学会総会、2017年に日本動脈硬化学会総会を主催し、いずれも盛会に終わっている。

また広島県・広島市の委託を受けて2004年4月に広島大学病院内に松本昌泰教授をセンター長として、難病対策センター(CIDC; Center for Intractable Disease Control)を設立した(現在、丸山博文がセンター長)。このセンターは多くの難病患者に対し、総合的な相談・支援や地域における受け入れ病院の確保を図るとともに、在宅療養上の適切な支援を行うことにより、安定した療養生活の確保と難病患者およびその家族のQOLの向上に資することを目的としている。年2回の難病医療従事者を対象とした研修会を開催し、難病支援に対する理解と知識の向上を図っている。

2016年3月に松本教授退官後、2017年に2月に准教授であった丸山博文が第4代教授に着任した。

このように広島大学脳神経内科学講座は、地元広島はもとより国内外における脳神経内科領域の医学・医療の発展に大きく貢献し、診療・研究・教育のいずれの分野においても大きな成果を挙げている。